暖かくなったせいか、シロちゃんが猫ベットから出ることが多くなりました。

やはりシロはビビリなんですね・・・。

いつものようにブラッシングやナデナデしていたら
隣の部屋でグリが『開けろーーー!!』と怒鳴って、いえ、鳴いて襖をガタガタさせています。
その襖は重いからあかないよ・・・、と飼い主は呟く。

その物音で、シロはすかさずベットの下にもぐり込んでしまった。

グリに追いかけられると、いつもこの下に逃げ込んでいたからね・・・。
『ドアは閉まっているからグリは来ないよ。大丈夫、おいで。』

言葉は分からなくても、何となくわかるのだろうか。
直ぐに私のもとに来て座り、ナデナデを続けた。 


う~ん、痩せてきたね4㌔ぐらいか・・・、抱き上げながら体重を想像する。

今朝はきちんとウンチはしたし、わりと食べているのにね・・・。

☆亡きクロが少食で食べない時は10gとか30gとかだった。それと比較すれば食べている。

ここにきてハッと気が付いた。
そう言えば、シロの部屋の侵入防止は大型の猫ゲージ、
それをグリは軽々とよじ登り、シロのそばに行く。
という事は、当然シロのフードを食べている可能性がある。

カリカリだけのフードは食べないが、並べて置いてあるヒメのフードを食べたことがある。
珍しいものを食べたがるのが猫だから、グリもシロのフードを食べたかもしれない。

猫たちには充分なフードをあげているので大丈夫だと思うが、さてどうしたものか・・・。
c0402989_17361620

花の名前は分からない、多分、葉がカタバミなので其のたぐいかも。

ブブちゃんのご飯を片付けながら庭の様子を見る。
本当にあっという間に新芽が出て、花々の開花も進む。

出窓を見たらヒメとグリが寝ている。
グリがヒメちゃんにしつこく絡んでいたが、
ヒメがのってこないので諦めて寝ることにしたようだ。

ひらめいた
窓ガラス越しだったらヒメちゃんのアップ撮れないだろうか。
急にやると驚くから、脇の方から少しずつヒメに近づいて・・・。

大成功です!!
c0402989_17361606c0402989_17361629

ガラスにピタッと貼りついて撮影しました。

網入りのガラスなので、まるで檻の中の猛獣のようです。
ヒメから見たら、私は檻の中のばあさんか!
怖がらないはずだ・・・。

ついでに隣のグリも撮りました。
c0402989_17361731
c0402989_17361703

むぎゅーーー、肉球が目の前に。








―――物の再利用―――

落下防止用が、いつしかお気に入りのハンモックになってしまいました。
使わないシーツを代用してのハンモックです、いえ転落防止策です。

そこから、体をのり出して階段下の私を覗いたり、
斜めに通した板の上に足をかけたり、ヒヤヒヤでした。

それで安全策をとり、ハンモック、転落防止用の布の下に農業用の保護ネットをつけました。
麻ひもを編んで丈夫にして、ネットを取り付けましたが、
後日、結束バンドでもっと頑丈に固定しました。

まあ、ここまでやれば大丈夫でしょう。
今ではすっかりハンモックとして利用しています。



このシーツ、古いわけでもなく真新しく大判の良いものです。
それでもこんな使い方をしたのは、
仕舞っておいても使わなければ意味がないと思うようになったからでした。

実は、数年前になりますが、両親も亡くなり空き家になった実家を処分しようとした時に、
県庁所在地にもかかわらず農村地帯だった我が家は、
不動産屋に相談してもご近所の方や知り合いに声をかけても買い手がつかず、
まさしく言われるところの負動産と化していました。

固定資産税があがるので家屋を解体も出来ず、その為に不審者が入り込まないよう、
火事など出さないようにと、点検や手入れのための帰省も負担になっていました。

解体するにしても、家の中を片付けなくてはならないし、
何よりも両親の残したものを整理しておかないと、
いざという時に大変なので、時間を見ては荷物を整理してきました。

戦争を生き抜いてきた年代の人に言えることですが、
物のない時代を頑張って生きてきたせいか物を粗末に扱えない、結果、ため込んでしまうようです。

家の中のいたるところに物が溢れていました。
まずは使えそうなものは当時住んでいた埼玉や、妹の所に運びました。
返礼品でいただいたタオルやシーツ、食器類、飾り物・・・。
もう、荷物をまとめるにも足の踏み場もないほどの中、整理しまくりました。

出来るだけ処分しましたが、
仕舞いこんだ物にも両親の大切なものだったのだろうと推測できるものもあり、
処分するには辛いものがありましたが、持ち帰っても置くところも無く泣く泣く処分しました。


実は、このようなことを思いだしたのは、
数日前の東京新聞の『あけくれ』欄に、同じような投稿があったからです。

投稿者は奥様です。
旦那さまの御母さんが亡くなり、家の整理をすることになりました。
たくさん物があった、その中に値札の付いた洋服までしまってあった・・・。

『着ればよかったのに』という夫の目には涙が浮んでいた。
お母さん自身が買ったのか、あるいは息子さんが買ってあげたものか。

「まだ着るものはあるから、よそ行きに何かあるときにおろそう」としたのかもしれません。
推測するに、やはり息子さんが買ってあげたのでしょう。

きっとお母さんは、もったいなくて無造作に着られなかったのかもしれません。
息子さんの気持ちが籠った、値札の付いたままの洋服・・・。
たとえ袖を通さずとも、息子さんの温かさは充分お母さんには伝わっていたでしょう。

記事の終わりには、
『子供たちに同じ思いをさせないように物を整理して置きたい』
というようなことが書かれていました。


誰しもが思うことかもしれません。
私自身も、実家の片づけをしていて、両親の辛さ、大変さ、悲しみを物を通して感じた経験があり、
できれば甥や姪にこの哀しみを味あわせたくないと思いました。
思い出は楽しいものであって欲しい・・・。

どなたもそうだと思うが、人には話せないほどの苦悩の時代があって、
それを感じさせるものが残っていたりする場合がある。

自分が死んだ後にそれを感じさせるのはむごいかもしれない。
あるいは平坦な人生に見えても頑張って生きたんだね・・・、と思って貰えた方が良いのか・・・。

元気な今だから、こんなこともつらつら考えるが、やはり、想い出は明るくあって欲しい。

子供のいない私に対して、実の親に対するほどの思いを甥も姪も抱かないとは思うが、
それでも小さい頃から慕ってくれた次世代の若者に『何かを』残せればと思っている。


今では核家族化がすすみ、一代で終わる家族も少なくありません。
お墓の話題も、人生の終わり方も、時代を反映した意見が多く見られます。


そこには自分がした苦労を子供にはさせたくない、という共通した親世代の思いがあるようです。
若い者を思うことは、時には若い者には重荷に感じるかもしれないと思う時もあって、
世代間の価値観も違ったりして・・・、難しいものですね。

ちょっと話が長くなりましたが、物を大事にしまっておくよりも、
使ってこそ生きるのではないかと常々思っているので思うところを書いた次第です。