クロの記録のために始めたブログだったが、
ヒメ親子が我が家に来たことで、いつの間にかクロの記事だけを書くことが無くなった。
ヒメ親子が我が家に来たことで、いつの間にかクロの記事だけを書くことが無くなった。
だからと言ってクロのことを忘れたわけではない。
何かにつけて思いだすが、それ以上に、生きている猫の世話に明け暮れ、
癒しを貰ったりしながら少しずつ悲しみが薄れてきているのが現実だ。
癒しを貰ったりしながら少しずつ悲しみが薄れてきているのが現実だ。
ヒメの様子を見ると、時々は、クロも同じような仕草をしたなとか、
同じ行動をとったなと思うことがある。
同じ行動をとったなと思うことがある。
例えば、私に遊んでほしいのにすぐかまってくれない時、
テーブルや椅子の下に座ってこちらを見ていたっけ・・・
テーブルや椅子の下に座ってこちらを見ていたっけ・・・
ヒメちゃんは『人間怖い』が、まだあるので触られない位置に陣取っているのだが・・・
クロは私の様子をじっと見て待っているようなところがあった。
だからヒメが、私の動きをじっと見ている時は、足元にボールを投げてやる。
直ぐに弾き返せば、私とのラリーになって結構楽しい。
ヒメから逸れたところに投げても、しばらくするとボールを追って遊んでいる。
私も料理などで忙しい時は1対1で遊んでやれないが出来るだけ付き合うようにしている。
クロちゃんにしてあげられなかったから・・・、と言うのもある。
どんなに可愛くても、いつまで生きるかわからないという思いが、クロ亡きあとは強い。
クロが死んだのは4月4日、まるで冗談のような日だ。
4月3日でもなく4月5日でもない。
最初は縁起でもない日に・・・、と思った。
4月3日でもなく4月5日でもない。
最初は縁起でもない日に・・・、と思った。
でも、この4重なりが、嫌な響きではなく私にとってはクロを思いだす大切な日となった。
ただひとつ、どうしても忘れられない思いがある。
それはクロがかまって欲しいと纏わりついて鳴いたとき・・・
シェルターから帰ったばかりの時で疲れていたこともあり、
うるさいな———と心の中で思ったこと。
うるさいな———と心の中で思ったこと。
その日はシェルターに気になる子がいて帰るのが遅かった。
いつまでいても解決するわけでもないので家に帰った。
帰宅を待っていたように玄関に出迎えて、ニャーニャーと鳴いて纏わりついた。
2時頃だったが、通常その時間帯は寝ていることが多い。
福ちゃんと保護猫、庭にやってくる野良猫に手がかかり、
どうしてもクロにはおざなりにしか向き合えなかった。
どうしてもクロにはおざなりにしか向き合えなかった。
寂しかったのだと思う。
その晩にクロの具合が悪くなり、
ただならぬ様子に夜を明けるのを待って病院に駆けつけたのだった。
ただならぬ様子に夜を明けるのを待って病院に駆けつけたのだった。
そして、その日のうちに死んだ。
何故、もっとかわいがってあげなかったか・・・
何故、手をかけてあげなかったか・・・
そして、あんなに鳴いていたのに『めんどう・・・』なんて思ったのか・・・
動物って勘がいいから、私の気持ちを見透かしたのだろうか・・・
今でもそのことが悔やまれる。